長く続く膝や腰の痛み、股関節の痛み、骨盤内の痛み、顔面、口腔内の痛み、または全身にわたる痛みで苦しんでいる方が大勢いらっしゃいます。そして、彼ら彼女らの多くは、実際の組織損傷や神経の損傷の確固たる証拠がない、あったとしてもその程度や範囲が予想されるよりもはるかに激しい内容となっている場合があります。痛みは、骨盤内や腰といった限局する場合もあれば、足全体または頭から背中腰、足腰など全身に及ぶ場合があります。
今までの医学では、痛みは、組織の炎症や損傷によって引き起こされる侵害受容性疼痛、神経の損傷による神経障害性疼痛の二つの原因によるものとされてきました。体の痛みがある場合、患者さんが病院に行くと、レントゲンや採血検査などを行い、なにか異常所見があれば、その治療を行うといった治療が今までなされてきました。しかし、このパターンでの診療ではなかなかよくならない痛みがあるのというのが暗黙の了解として、この世に存在していました。この二つの原因に入らない痛みは、よくわからない痛みとして、整体や接骨院、マッサージ、鍼灸などの代替医療にかかるか、または諦めてしまっている状態が続いています。
2016年、末梢および中枢神経系の痛みに関連する感覚経路の変化から生じる痛みとしてnociplastic painという用語が、国際疼痛学会IASPから提案されました。このnocipastic painは、単独でも起こりうるし、侵害受容性疼痛または神経障害性疼痛と併存する場合もあります。このnociplastic painは、新たな未知の特定な疾患名というよりは、機能不全や今までの医学概念では説明のつかない身体症候群がかつては心因性などと見捨てられていた痛みの訴えに、用語があてられることになります。そして、画像や検査などの所見やバイオマーカーがなくても、診断が可能となります。
nociplastic painは、自覚症状がはっきりしているものの、病理学的所見やバイオマーカーは現時点では存在せず、このことは現場で患者も医療者でさえも心理的不安定性をもたらします。nociplastic painは、ダイナミックです。痛みを引き起こしたり、増幅させたり、
再発したり、末梢神経や中枢神経系からの作用を受けたり、心理学的に作用又は併存するなど、多種多様です。単純な一グループの痛みととらえるのでなく、現実のさまざまなメカニズムを包括する、多くの痛みを説明するものと説明されうるものです。
単独で起こる場合もありますし、侵害受容性疼痛、神経障害性疼痛と混合する場合もあります。腰痛患者の12%、膝関節、股関節の3分の一以上にnociplastic painの要素があるという報告があります。多くの慢性痛を網羅する症候群としての用語であり、狭義に定義され単独の病態生理メカニズムをもつような客観的な検査結果がある疾患とは別物となります。
メカニズムについては、複数の神経系の痛み刺激に対する増幅や抑制の減少などがあげられます。詳細については割愛しますが、おそらくその神経経路回路は多数あるものと考えられています。線維筋痛症、頭痛、顎関節症、過敏性腸症候群、間質性膀胱炎、腰痛、膀胱痛、会陰部痛、骨盤痛などのものが主なnociplastic painであり、これらを持つ患者さんは、痛みに加えて、疲労、睡眠、気分障害、記憶障害、光感受性、音過敏性などの感覚過敏など、自律神経などの中枢神経系の症状を併せ持つのが特徴的です。最近の脳イメージング技術により、痛みや感覚処理に関する脳領域の活性化が明らかになっています。fMRIでも、痛みや感情をつかさどる領域(cf. デフォルトモードネットワークや島の領域)との接続性の増加や下行性疼痛抑制系をつかさどる脳幹部における活動性の低下は明らかになっています。以前慢性痛状態の脳は萎縮していると考えられていましたが、神経可塑性の変化としてみられています。
慢性痛自体は、地球上の5人に一人は罹患していると推定されており、慢性痛の多くの人が、このnociplastic painとして網羅されているとされています。nociplastic painは女性に多く、人口の5-15%という報告があります。
nociplastic painは単独で起こることは滅多になく、通常、疲労、睡眠障害、認知障害、聴覚光などの感覚過敏、気分障害などの中枢神経系の障害を伴います。そのため診断するには、痛みの特性、身体的な状態だけではなく、心理的症状の存在にも注意を払い、包括的な評価を行う必要があります。家族背景、小児期の痛みの既往、疲労、認知機能、過敏症状、心理的症状などの病歴聴取、引き金となっている基礎疾患(変形性関節症、末梢神経障害など)の状態把握、他の器質的な選択的原因検査(血液検査、画像検査など)が診断には必要です。また、不必要な検査や調査の追及や専門家の紹介は控えるべきとされています。さらに病人としての役割を患者さんに強めてしまうからです。ほとんどの場合は、線維筋痛症の管理同様、プライマリーケアで管理することが可能です。治療目標としては、症状の根絶ではなく軽減を目指し、機能の改善、生活の質を上げることを含める必要があります。目標設定は重要で、過度に楽観的な期待を掲げすぎて失望や離脱につながってしまったり、逆に低い期待レベルではさらなる悪化やストレスレベルを上げてしまう可能性があったり、現実的な期待設定が重要となります。
このnociplastic painは、診断が難しく、多くの医療機関にかからなければ診断に至れないことも少なくなく、過剰な医療利用と患者側の医療者への不信感が募る結果となります。ある報告では診断までの平均3年または8年もかかり、平均4.5人の医師の受診が必要だったという報告もあります。多くの場合、症状は一生続きますが、一部寛解する場合もあります。完全寛解は少ないですが、多くの場合、疼痛レベルは年々と下がる傾向がほとんどであり、多くのケースでその人にあった治療戦略が同定されることができます。
治療戦略としては、患者個人それぞれにあった、多角的な治療が理想であり、痛みの教育とセルフケアから始まります。
治療としての薬物療法はほとんど効果がなく、またそれらによる有害作用はさらに状態を悪化させるため、非薬物療法が重要となります。生物心理社会モデルを重要視し、身体活動、運動、睡眠衛生、ストレス軽減などの生涯にわたる良好な生活習慣を促進すべきです。セルフケアと内的コントロールが推奨されます。心理療法としては、認知行動療法などが取り入られていることが多く、マインドフルネス、ACTなども一般的に推奨されています。
痛みだけでなく、睡眠障害、疲労、認知機能、気分障害など様々な病態がみられるこの広い疾患群を、「慢性中枢性神経障害」ととらえる考えもみられている。どちらにしろ、今現在において、神経可塑性の変化によるものとされていますが、いまだバイオマーカーは発見されておらず、圧痛以外の臨床的共通特徴もないという状態です。
そして2021年ようやく日本でもこのnociplastic painが「痛覚変調性疼痛」という訳語が作られ発表されました。しかし、このあいまいでとらえにくい疾患概念を把握して対応している医療機関はまだまだ少なく、治療の受け皿であるプライマリーケアに至ってはほぼわが国ではほとんど機能していない状態です。
長くなりましたが、この「金沢八景痛みのクリニック」では、我が国では数少ないnociplastic pain 痛覚変調性疼痛のためのクリニックとして、今後とも活動していきたいと思っております。当院の存在目的について知っていただきたいと思い、この記事を書きました。自分、または家族、友人で、もしかするとこの痛みではないかと思うことがありましたら、ぜひ当クリニックにご相談ください。
参考文献:
1) Fitzcharles MA, et al: Nociplastic pain: towards an understanding of prevalent pain conditions. Lancet. 397: 2098-2010. 2021
2) 北原雅樹: 痛覚変調性疼痛:混乱に彩られた方便. MB Orthop.37(10): 191-199, 2024
Comments